発達障害の診断を迷っている人へ!
- pop-asd-off
- 2017年12月20日
- 読了時間: 3分
かつて私はとある友人に「実は発達障害を持ってるんだ」と思い切って告白しました。
友人は「自分も発達障害があるかも知れない」と言いました。
それから何度も会っては他愛も無い話をしつつ、時折発達障害についても語りました。
やがて1年が経った今、彼は遂に診断に行く事を決めたとのこと。
友人は
「もしも発達障害とわかれば、むしろ安心する。これまでの自分も受入れられるから。」
と言いました。
おそらく【自分自身の抱える違和感】の謎が解けることで、自責の念が晴れたり心の整理がつくからでしょう。
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当事者である私は、診断を迷っている人に伝えたい。
もしも「自分は発達障害かも」と考えている人がいるなら、
【むしろ診断が出れば安心する】という心境の時こそが
診断タイミングなのだと。
【診断が出ることで沸き起こる悲しみ】と【診断が出ることで得られる安心感】を
それぞれに考えて、後者があなた自身の中でだんだんと膨らみ始めたら、
思い切って診断を受けて欲しいと思います。私はそうしました。
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診断当時を思い返すと、自分が生まれ付き
【無自覚の障害者だったという事実】を知る事は恐ろし〜OSOROSHI〜過ぎました。
何もなかったことにしようとしたり、病院の予約を直前でキャンセルしたり。
しかし診断を受け障害が分かり3年ほど経った今、
本心から【あの時に診断を受けて良かった】と思います。
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私は発達障害を持って生まれました。もがいてもあがいても死ぬまで当事者です。
対人関係を築くことが不可能な時期もありました。
働くことが叶わない時期もありました。
行き辛さから何度も死にかけもしました。
それらの謎が三十代になってようやく解けたのです。
病んでる(笑) とか 自分語り(笑) とか 悲劇のヒロイン(笑) とか
冷ややかに思う人もいるのでしょう。
そんな輩〜YAKARA〜には人の痛みが分かるようになるまで
ヘビィな不幸が訪れることを願いつつ、話を続けます。
ゆっくりと時間を掛けて【自分が障害者である事実】と向き合おうとしました。
向き合える事実は飲み込んで流しました。
向き合えない事実からは迷わず逃げました。
脳内での面倒な自問自答を、繰り返して練り直して煮詰めて
とんでもない理不尽に耐えながらも今日まで生き延びた自分のことを、
今ではとんでもなく魅力的な人間だと確信しています。
この考えは個人的な脳内の宇宙では絶対に変わり得ないので、外野であーだこーだ言う人がいてもシロナガスクジラばりに流すだけのこと。誰に咎められる話でもないのです。
センセーショナルな自己啓発のように劇的に心境が変わった訳ではありません。
徐々にJIWARI&ZIWARIと自分に優しい環境や思考を自分の為にただただ作り続けました。
いつしか私は毎日を生きていくことがなんだかとても好きになりましたよ。
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発達障害起因の特性をどう生かそうがどう殺そうが、
それは当事者であるすべての人達それぞれの自由なハズです。
生き辛さのある人達には理不尽な苦労の先に、
いつか巨大な達成感や充実感が待っているといいなぁ。
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