発達障害者の人達へどうしても伝えたいこと!凹編
- pop-asd-off
- 2017年2月28日
- 読了時間: 5分
お元気でしょうか。かわずです。
今日は衝動的に件名のようなブログを思い立ちました。
まだまだ発達障害について自分に必要な知識しか
持っていませんし、勘違いもあるかも知れませんが、
単刀直入に発達障害者への想い(この漢字、詩的でカッコいい!!)を
綴ってみようと思います。
発達障害は発達の凹凸なので短所長所を併せ持っています ('ー')
発達障害自体がとても複雑な話なので
短所長所の二元論で片付く簡単な話ではありません。
が、ややこしくなると収集が付かなくなりますので
凹編 : 短所や苦しみ、困難について
凸編 : 長所や喜び、可能性について
このように語って行こうと思います。辛い事は先、楽しい事は後にしましょう。
あくまで私の今現在の個人的な見解です。
なかなか毒のあるヘビィ(毒蛇)な心境を披露しますのでお気をつけ下さい。
凹編 = = = = = = = = = = = = = =
私は30代の発達障害者です。2年程前に発覚しました。
これまで「変わっている」ことに苦しみ、何故自分は「普通」ではないのだろうかと
混乱し続けて来た原因が、発達障害の発覚によって明らかになったのです。
定型発達者(非発達障害者)の人達は
「30年以上も自分の障害に気付かないなんてありえない」
と思うかもしれません。
私がもしも定型発達者だったらそう思うでしょう。
しかし、発達障害は残酷です。(特に不自由を感じない方は例外)
なかなか気付ける障害ではありません。
人数としては100人に数人程度(とある情報では5人程度)と
決してとても珍しいレアケースという訳でもないのですが、
40代、50代でようやく気付く人達や一生気付かずに過ごす人達も大勢います。
それは発達障害自体が認知されていなかったり、
診断のジャッジが曖昧だったり、
障害と言えば身体か知的かという思い込みだったり、
様々な要因があると思います。
実は未だに自分を障害者だと認めたくない感情もあります。
しかし抗っても仕方がありません。
生まれつき発達障害者ですし、死ぬまで発達障害者です。
対人関係、不注意、体質など、間違いなく不自由を持っています。
発達障害者の不自由さを簡単に説明しますと、
聴覚障害者が自分自身を
「聴覚に不自由の無い人間」
と認識して生活すれば生き辛さに苦しむのは当然
聴覚障害者が他人から
「聴覚に不自由の無い人間」
として認識され過ごせば誤解が生まれるのは当然
これらのように私は考えています。
自分で発見する事も、他人に理解を求める事も、とてつもなく困難なのです。
私は「発達障害者としての自分」を認めた上で、
平行して持っている「発達障害者としての考え」があります。
・発達障害 = 自分自身 ではなく、
発達障害 ≠ 自分自身 ということ。
当事者であれば他者にも同じ考え方を持っています。
発達障害はあなたが望み手に入れたのでしょうか? あなたが育み培ってきたのでしょうか?
「あなたという人間」と「発達障害という特性」は別です。
簡潔に「私は発達障害です」ということはあっても、
それはあくまで「私は発達障害という特性を生まれ持った人間です」という意味です。
絶対的に「生まれつきの不自由」だと分かり切っている訳ですから、
自分(あなたという人間)が不自由(発達障害という特性)を持っている事で、
「自分について」失望する理由は何一つありません。
失望するのであれば「不自由について」のみで充分です。
むしろ厳しい境遇を生き抜いている自分自身を褒めるべき理由は無数にあります。
なので短所としての不自由がある場合も、長所としてのギフテッドである場合も、
元々の根源は当事者の力が及ばない部分にあると考えています。
いずれにせよ当事者に委ねられるのは、それぞれの力が及ぶ部分の中で
「生まれ持った特性をどう生かしてどう殺すのか」ということなのではないかと。
冗長にならぬ様、私が発達障害者の人達に何を伝えたいのか
ここで明確にしておきます。
生き辛さについては
・過去も現在も未来も含めて、
何が起ころうと絶対に自分を責めないで頂きたい。
あなたに一切の非はありません。
全て障害の所為と考えて大丈夫です。
このような極論を言うと私を狂人と思う人もいるかも知れません。
とんでもない甘えだと罵る人もいるかも知れません。
しかしこの考えは誰がどう言おうと揺るぎません。
これほどまでに自分を可愛がる考え方でようやくバランスが取れるからです。
発達障害者は正体不明の違和感に長年苦しみ続け、翻弄されます。
努力や注意など試行錯誤を試みても限界があり、
歯痒さから必要以上の自責を繰り返します。
要するに充分過ぎる程の理不尽な悲しみを骨の随まで味わうことになるのです。
定型発達者には起こりえないことなので無論理解することが出来ません。
大袈裟ではなく、これまで私は何度か死にかけました。
結果辿り着いた思考なので、発言を撤回する気もありません。
自分を責める事は絶対にしないで欲しいと思います。
発達障害者であるあなた自身を責めることは、同時に発達障害者自体を責める事になるから。
「絶対に」という言い回しは窮屈で普段はあまり使いませんが、
ここではあえて使ってみます
まず他人に障害の共感は望めず、(当事者同士はまた別の話)
どうしても逃れられない絶対的な生き辛さと一生付き合う運命にある人が
自責の念を持つ理由などどこにあるのでしょうか。
私は先天性の無自覚な障害に混乱しながら生きて来た自分を責めるほど謙虚ではありません。
理不尽を呪わずにただただ耐え忍ぶような立派な人格も持っていません。
・必要な支援は遠慮なく受けて欲しく思いますし、
今まで生きて来た自分自身をひたすらに誉め称えて下さい。
北海道の片隅に暮らす当事者からの大切なお願いです。
= = = = = = = = = = = = = = = =
単刀直入としつつ、長刀曲入になったのかも ( ´w`). 笑
念の為繰り返しておきますが、あくまで私自身の今現在の個人的な見解です。
あれもこれも脳内の全てをお伝えしていてはキリが無いので
凹編はこの辺りで締めます。次回(?)は楽しい凸編でお会いしましょう。
ではまた来週(たぶんもっと後)
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