発達障害者として生まれたことへの本音!
- pop-asd-off
- 2017年1月25日
- 読了時間: 3分
こんばんは、かわずです。
正直に告白しますと、まだまだ自分自身、発達障害を飲み込めない部分もあります。
ホームページまで持ち当事者会を開くことに意味はあるのか、疑問に感じる部分もあります。
発達障害は紛れも無く不自由です。私は30年以上自分が障害者だとは夢にも思わず
対人関係での心労、極端な不注意、長年の倦怠感から自分自身を責め続けて来ました。
苛まれ続けた違和感の正体がどうしてもわからず、発覚した時にはすでに傷だらけでした。
発覚後は気分が沈みました。当時は障害以外にも悲しい出来事があり、
才能に溢れたギフテッドでも無く、世の中を素晴らしいと思える心も持ち合わせていません。
端的にいうと絶望的でした 。
が、しばらくして思ったのです。障害が原因とわかったことによって、
どうしても拭い切れなかった自責の念を今から手放して行けるのではないかと。
これまで培ってきた悲しみを再利用して
もっと楽しいことや嬉しいことを生み出して行けるのではないかと ( ゚д゚)
以来、無理の無い範囲で出来ることをし始めたところ、ゆっくりと目標が叶ったり、
自己肯定感を育んで行こうと考える様になりました。
これまで無自覚の障害にもがいてきた時期も、
今ではよくぞ生き抜いたと本心から褒められます。
オフを開く動機としては
自分も含め発達障害に耐え抜いて今日まで生きて来た人達を褒め讃えたいと思うから。
ジョークの様に聞こえるかもしれませんが、
ダサかろうと野暮だろうと、本気でそう思います。
当事者について ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
発達障害は個性なのか?足枷なのか?才能なのか?不幸なのか?
捉え方はどうであれ、
当事者の皆さんは素敵な感性を持っているかけがえのない人達だと
かわずは信じて止みません。
定型に見えない景色が見え、定型には分からないことが分かるのですから。
忌まわしく思うこともあるでしょうが、貴重な感覚を持っているのは事実であると。
(かわずは定型発達者の感性を否定しているのではなく、
発達障害者の感性を肯定しているということです。)
同時に当事者の持つ優しさを信じています (ㅅ´ ˘ `)
様々な苦労によって 他者の悲しみを想像出来る心 が培われた人達だと思うから。
そんな気持ちがどんな当事者にでも、心の奥にはきっとあるだろうと。
(的外れと思う人は迷わずスルーで。)
滑稽かもしれませんが、希望的観測ではなく
この本音はこれからも揺るぎないはずです。
オフ会について ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
人と人との話なので同じ障害を抱えていようと
合う人は合うし、合わない人は合いません。
また会いたいと思う人もいれば、
もう会いたくないと思う人もいるでしょう。
それは私も皆さんも同じことだと思います。
それでも誰であれ、どんな人であれ
自分も抱えてきた発達障害という凹凸を持って毎日を生きている人ならば、
私は親近感を持ってその人を肯定的に捉えられる気がします。
といった考えから私が開くオフでは
障害から生じる苦労や困難を語るよりも、
障害と付き合って暮らしている皆さんが
自然体で互いを認めあえる場所になればと願っています。
(単に私個人の希望です。どのような気持ちで来るのか、
どんな話をするかはご自由にどうぞ。)
笑いが絶えないオフになればさらに素晴らしい。
やけにポエミーになってしまった気もしますが…
かわずのわずかな願いでした (ゝω・)
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